あまりにも過去のことが大昔のように感じる昨今。
2019年に行ったカンボジアへの研修旅行は、もうとっくの昔の出来事のように感じられる。
一緒に行った友人に聞いてみても、やはり同じような感覚だという。

旅はいつでも、自分の枠組みを広げてくれる。
広げるという時にいろんな方向があると思うが、カンボジアへの旅は、自分の深さへの枠を広げてくれたように思う。
自分のSHASの卒業式というタイミングであったこともあるが、それだけではなく、
アンコールワット遺跡群に感じられる遺跡のエネルギーは、下から来るからだ。
木々が力強く、根っこの方が太い。
人間の作った遺跡など構わず、飲み込むように伸びあがっていく大樹の数々。
樹高は天を衝くように高い。

多くの観光客は、朝日とアンコールワットのインスタ映えするショットを狙って写真スポットに目掛けて集まっていたが、私たちは、ほぼ毎朝、開門の時をめがけて出かけ、アンコールワットの中で座って過ごした。
観光客の多く訪れるところでは、昼間の間の喧騒を、夜の闇が覆って、翌朝にはまたその場所の持つ本来のエネルギーを感じやすくなる。
卒業式目前の独特の緊張感に、心が折れそうになるが、毎朝のアンコールワット詣でで、エネルギーを満たし、なんとか無事に卒業することができた。

心が折れそうになる時、というのは誰でにもあることだが、これは自分にだけ起こっているのだと、思わなくていい。
なぜなら、平然と見える人にも、当然その人なりの波があるわけで、それは他人には見えないからだ。
みんなが見せていたら、それはそれは大変な社会になってさぞかし面倒くさいだろう。
昔、ヴィパッサナー瞑想の10日間の合宿に参加した時に、私は瞑想で座禅で座っているのがしんどすぎて、質問ができるときにアシスタントティーチャーの方に、尋ねた。
「どうしても足が痛いのです。」すると、その方は、こう答えた。「私も痛いです。」
私はぶったまげた。
修行が進んでいくと、足が痛くならないと思ってたからだ。
それを聞いて、私は、もう足が痛くならないように、ということを目指すことを諦めた。

どこか、精神的な道のりを歩むと、問題など生じなくなるのではないか、と思い込んでしまう。
問題などない完璧な状態、というのがあるのではないか、と思ってしまうのだ。
でも実際はそうではない。
問題があっても溺れなくなる、ということなのではないかと思う。
溺れなくなり、完璧さを装うために使っていたエネルギーは、自分自身に戻ってくる。
グラウンディングされるということは、問題があっても自己の存在を絶対的に認めているということなのではないかと思う。
そしてその強さは鍛えることができる、と思う。

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